【共働きママの本音】料理したくない日の罪悪感、今すぐ手放していい理由
「また今日も手抜きご飯だ……」
冷凍食品を並べながら、宅食をレンジに入れながら、そうつぶやいたことはありませんか。
誰かに責められたわけじゃない。でも、なんとなく感じる罪悪感。
今日で、その罪悪感とお別れしましょう。
この記事では、料理したくない日に感じる罪悪感の正体と、私がそれを手放せた理由をお伝えします。
共働きママが「料理したくない」と感じる瞬間、こんなにある
まず正直に言います。私が「今日は料理したくない」と感じる瞬間は、一つや二つじゃありません。
仕事で疲れ果てて帰宅したとき
会議、資料作成、学生対応、メール返信……日中に頭と体を使い果たした状態で帰宅したとき。玄関を開けた瞬間から「夕飯どうしよう」という現実が待っています。
正直、この状態で「今日は何を作ろうか」と考えるのは、もう一仕事するのと同じくらい消耗します。
献立を考える余裕すらないとき
「料理することよりも、献立を考えることの方がしんどい」——そう感じたことがある方は多いはずです。
仕事が特に忙しかった日は、帰宅後に「何を作るか考える」余裕すらありません。冷蔵庫を開けても何も思い浮かばない。そんな日が月に何度かあります。
「作った後の片付け」まで頭に浮かんだとき
料理を始める前から「食べた後の洗い物」まで想像してしまうことがあります。
鍋・フライパン・まな板・包丁・食器……全部洗い終わるのが22時近くになるかもしれない。そう思った瞬間に「もう今日はいいや」という気持ちになります。料理への疲れが限界に来ているサインです。
水曜日、週の長さを感じるとき
月曜・火曜と乗り越えて、週の真ん中の水曜日。「まだあと2日ある」という疲労感が積み重なる日です。
週の折り返し地点で感じるあの独特の重さ。「今日だけは誰かに夕飯を作ってほしい」と思うのは、決して弱いことじゃないと思います。
体調が優れない日
女性なら月に一度、体がどうしようもなくしんどい日があります。頭痛、だるさ、腰の重さ——そういう日に「さあ夕飯を作ろう」と思えなくて当然です。
体が「休んで」と言っているのに、料理をしない罪悪感を感じる必要はありません。体調が優れない日こそ、上手に手を抜くことが自分を守ることになります。
子どもの機嫌が悪くて料理どころじゃないとき
保育園でお友達とケンカした、眠くてぐずっている、甘えたくて離れない……そういう日は、娘のそばにいることが最優先です。
料理どころじゃない状況で無理に台所に立つより、宅食やお惣菜に頼って子どもと向き合う時間を作る。それが正しい判断だと、今では迷わず思えます。
「きちんと作らないといけない」という呪縛の正体
母として・妻としての役割を果たせていないという不安
以前の私は、料理を手抜きするたびに感じていました。
「きちんとした食事を作れていない母親は、失格なんじゃないか」
誰かに言われたわけじゃない。SNSで見る手の込んだ料理と自分を比べて、勝手に追い詰めていました。仕事もして、家事もして、育児もして、それでも「ちゃんとした料理を作れていない自分」を責め続けていたんです。
誰にも言われていないのに、自分を縛っていた
今思えば、その呪縛をかけていたのは自分自身でした。
夫は何も言っていない。娘も責めていない。それなのに「ちゃんとしなきゃ」というプレッシャーを自分に与え続けていました。「完璧な母親像」を誰かに押しつけられたわけじゃなく、自分で作り出していたんです。
罪悪感を手放せた、夫の一言
ある日、「今日も手抜きでごめんね」と夫に言ったとき、こう返ってきました。
「働いて稼いできてるんだから、手を抜く日があっても誰も怒らないし咎めたりしない。周りの人が何と言っても、我が家で否定することはない」
この言葉を聞いたとき、ずっと胸の中にあったものがすっと軽くなりました。
家族に否定されないなら、罪悪感を持つ必要はなかった
よく考えれば、罪悪感を感じる相手は誰だったんでしょう。
夫は怒っていない。娘も喜んで食べている。誰も責めていないのに、自分だけが自分を責め続けていた。
夫の言葉で気づきました。罪悪感の正体は、誰かへの申し訳なさではなく、「こうあるべき」という自分自身への過剰な期待だったと。
「手を抜く」と「手間を抜く」は全然違う
手抜きは悪いことじゃない
「手抜き」という言葉には、なんとなくネガティブなイメージがあります。でも私が実践しているのは「手を抜く」ことではなく、「手間を抜く」ことです。
- 野菜を前日にカットしておく → 手間を抜く
- 宅食を温めるだけにする → 手間を抜く
- ミールキットで時間を短縮する → 手間を抜く
手を抜くとは「やらなくていいことをやめること」。手間を抜くとは「賢く効率化すること」。この2つは全然違います。
宅食・ミールキット・総菜は「賢い選択」
私は現在、シェフの無添つくりおきとmealsを冷凍庫に常備しています。「今日はもう無理」という日のための、最終兵器です。
温めるだけで一品が並ぶ。それだけで子どもが「おいしい!」と食べてくれる。手作りじゃなくても、食卓に食事が並ぶことの方がずっと大切です。
各サービスの詳しい比較は別記事でまとめています。
罪悪感なく「今日はラクする」と言える家庭にするために
家族に「てぬきデー」を宣言してみる
罪悪感を減らす一番簡単な方法は、先に宣言してしまうことです。
「今日は疲れたから宅食にするね」
「今週の水曜はてぬきデーにしよう」
宣言することで、こっそり罪悪感を感じる必要がなくなります。家族も心の準備ができる。我が家ではこれが定着してから、夕飯に関するストレスがかなり減りました。
てぬきデーのメニューは4つあればいい
我が家の非公式ルールは「水曜と金曜はてぬきデー」。週の折り返しで疲れが出る水曜日と、週末前で一番くたびれる金曜日——この2日間は手間を抜く日と決めています。
我が家の「てぬきデー」に使うのは主に4つです。
- 冷凍食品をそのまま出す
- 宅食(シェフの無添つくりおきやmeals)を温めるだけ
- 週末に作った作り置きのおかずを並べる
- 前日や昨日の余り物でアレンジして済ませる
お金をかけなくても「手間を抜く」ことはできます。大事なのは「今日はラクしていい日」と自分に許可を出すことだけです。
作り置きの具体的なやり方は別記事で詳しく紹介しています。
まとめ|あなたは十分すぎるほど頑張っている
- 料理したくない瞬間は、誰にでも・何度でもある
- 「きちんと作らないといけない」という呪縛は、自分が作り出したもの
- 家族が責めていないなら、罪悪感を持つ必要はない
- 手を抜くことと、手間を抜くことは全然違う
- 宅食・作り置き・余り物活用は「賢い選択」
- 「てぬきデー」をルール化すると罪悪感が消える
フルタイムで働いて、お迎えして、家事もして。それだけでもう十分すぎるほど頑張っています。
料理しない日があっていい。手を抜く日があっていい。
そう思えるようになったとき、不思議と毎日が少し軽くなります。

